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44年目のごあいさつ 高田漣


LIVE MAGIC! 10月23日(日)に出演する高田漣さん。

LIVE MAGIC! には2014年に細野晴臣さんのバンドメンバーとして出演していますが、今年は満を持してのソロ出演。

そして、今回のLIVE MAGIC!のステージでは、高田漣さんの父で、伝説的なフォーク・シンガーとして語り継がれる高田渡さんが1971年に発表したファースト・アルバム『ごあいさつ』を全曲演奏してくれることになっています。

名盤『ごあいさつ』とは一体どんな作品なのか?

高田渡さんの没後10年となった昨年、無料の電子書籍版音楽雑誌「ERIS」に高田漣さんが寄せた『ごあいさつ』のライナーノーツを、高田漣さんとERISのご厚意により、このLIVE MAGIC!オフィシャルブログに再掲載させていただけることになりました。

高田漣さんならではのエピソードと音楽愛、そして高田渡さんへの想いが溢れるライナーノーツで『ごあいさつ』を予習して、LIVE MAGIC!での演奏をお楽しみください。

 

More Than Liner Notes

高田 渡 / ファーストアルバム~ごあいさつ

 (originally released in 1971:キングレコード SKD-1002)

解説:高田 漣

「44年目のごあいさつ」

 どうもどうもいやどうも 高田漣です。

 ご存知の方も多いかと思いますが今年(2015年)は父・高田渡がツアー先の北海道で亡くなって10年の節目の年でありまして、ベスト・アルバム『イキテル・ソング』の監修や、僕が歌う高田渡カバー・アルバム『コーヒーブルース』の制作や、後述する父の17歳からの青春時代の日記『マイ・フレンド』など、何かと高田渡関連の年でありました。トリビュート・ライブと銘打ったツアーも、父の生誕地の岐阜県・北方町から最後のステージになった北海道・白糠町まで、日本全国行脚の旅というかお遍路の旅でありました。そんな折に萩原健太さんや『ERIS』スタッフの方々にお誘い頂いて、今回はじめてこのコーナーを書かせて頂いているのですが、そのリクエストはずばり〝高田渡のごあいさつのライナーノーツ〟という直球でした。趣旨はモアー・ザン・ライナーノーツ。歴史的な史実ならば多くの先輩方にお任せした方が良さそうですが、〝モアー・ザン〟ですから個人的な記憶も書けるのでは?と思い、これも何かのご縁と思い快諾致しました。

そんなわけでなにぶんよろしく なにのほうはいずれなにして

そのせつゆっくりいやどうも

 高田渡『ファーストアルバム~ごあいさつ』は1971年6月1日にキングレコードより発売されました。僕が生まれる約2年前ということになります。翌年に日本初のメジャー内インディーズ・レーベルとも言うべきベルウッド・レーベルの発足に伴い、再発売されました。

 もっともキング盤よりさらに2年前の1969年に『高田渡/五つの赤い風船』のカップリング・アルバム、続くフル・アルバム『汽車が田舎を通るそのとき』で関西のインディーズ・レーベルのはしりURCレコードでデビューしていたので、再デビュー、あるいはメジャー・デビュー作ということになるでしょうか?

 話はかわりますが、このカップリング・アルバムというニュアンスは今のCD世代以降の配信世代の若者には通じるのでしょうか?(笑)。そんな前世紀の産物=カップリングLPといえば、僕には面白い思い出があります。僕は中学生になった頃にロックに目覚め、本格的にギターを弾きはじめました。そんな時にたまたま家で見つけたのがジミヘンのモンタレー・ポップ・フェスティバルのライブ盤でした。「伝説の名演!」という前評判に期待値だけが膨らんだままターンテーブルに乗せたその演奏は、ようやく坊主頭が伸びはじめたサッカー少年には難解過ぎました。それもそのはずです。今でこそカラーのあの映像込みでYouTubeでも簡単に「ギターが火事だ火事だ」事件は観られますが、レコードの音だけでは、後半何が起きているのかさっぱり分かりません。肩すかしを食らったようで軽くへこんだ高田漣少年は、ひとまず何も考えずに面を裏返したのですが、こちらはバンドの演奏も歌もパキッとしていてすごい高揚感。なんと反対の面は、同じモンタレーでもオーティス・レディングの名演だったのです。何も知らないまま聴いたその演奏にどんどんと引き込まれた僕は、「トライ・ア・リトル・テンダネス」の頃には涙すら浮かべるほどのめり込んでしまいました。かのブライアン・ジョーンズをはじめ、当時のヒッピーたちの度肝を抜いたあの演奏です。少年の吸収力とは恐ろしいもので、それからしばらくはサム・クック、サム&デイヴなどR&Bばかり聴くことになりました…。

 おっと、話が横道にそれました。

 URCおよび高石友也事務所を辞めた高田渡は、契約に縛られずのんびりとやっていたそうですが、転機が訪れました。1970年の第2回「中津川フォークジャンボリー」に出演した際に、URC時代の旧友たちのはっぴいえんどの紹介で、当時キングレコードの社員だった(後にベルウッド・レーベルを立ち上げた)三浦光紀氏と出会うのであります。後に出た父の自伝『バーボン・ストリート・ブルース』の中で「喉から手が出るほど欲しかった」というレコード契約でありましたが、元来の慎重派の親父らしく、いきなり握手して契約ということはしなかったそうです。これは三浦さんから聞いた話ですが、その後の父の契約に際しての条件はただひとつ、「はっぴいえんどと一緒に作る」だったそうです。ロックそのものには決して明るくはなかった父でしたが、はっぴいえんどとは何かとウマがあったようです。先日、新宿文化センター内で催されていた「高田渡写真展」の中でも、父がセルフタイマーで写したはっぴいえんどとの珍しい集合写真が展示されていました。笑顔のはっぴいえんど。これだけで貴重です(笑)。

 これはあくまで僕の考察ですが、現在は日本音楽シーンの最重要バンドと認識されているはっぴいえんどですが、当時の彼らを取り巻く状況や評価は今とは天地の差だったと聞いています。松本隆さんの書く日本語的美しさとロックのビートとの化学反応には、まだまだ多くの一般的な日本のリスナーの耳は追いつかなかったのではないでしょうか? 同じく高田渡にしても、本来、舶来のフォーク・ソングをより日本語的に表現する命題のもとに辿り着いたのが、添田唖蝉坊などの明治時代からの演歌(自由民権運動や大正デモクラシーの演説の歌の意)を北米民謡に乗せて、などとは、やはり一般的にはマニアックであったに違いありません。URC時代のデビュー曲「自衛隊に入ろう」のような分かりやすいパラドックス(逆説)の歌ですら、誤解されることが多かった時代なのですから。しかし両者に共通した言葉へのこだわり。そういう意味では、はっぴいえんども高田渡も、背負っているものこそ違えども同じ方向に向かっていたからこそシンパシーを感じていたのではないでしょうか。お互いそれぞれの持ち場で異端児だったのではなかろうかと。

 ところで高田渡がこのようなスタイルというかスタンスになったのは、本人の創作だけではなし得なかったことが前述の日記『マイ・フレンド』の中に折にふれて詳しく書かれています。特に特筆すべきは、先輩であり沢山のことをヤング高田渡に教えた評論家の三橋一夫さんに、1966年9月24日に「明治・大正の演歌を聴きなさい」と言われたことが、高田渡の地平が一気に広がった瞬間であります。そしてその2日後には父みずから「演歌を北米民謡のメロディーに乗せて歌うフォークシンガー宣言」を書くのです。このことはレコード発売時のオリジナル・ライナーノーツの中でも三橋さんが少し触れています。

 さて前置きはこれくらいにしてライナーノーツ的なものを書きはじめてみたいと思います。

 まずは1曲目の「ごあいさつ」。谷川俊太郎さんの詩をトーキング・ブルース・スタイルで演奏するこの曲は父の作品の中では有名であり、同時に他に例のない作品だと思います。と言うのも生前の父と親交のあった方ならお分かりの通り、父はウディ・ガスリーを敬愛していました。そしてその弟子ランブリン・ジャック・エリオットも同じく。ですが父は、彼らのようなトーキング・スタイルの楽曲はこの「ごあいさつ」以外は、後述する「銭がなけりゃ」の初期バージョンの一節でしか残していないのです。同時代の仲間の友部正人さんなど多くのフォーク・シンガーが取り入れていたのに。これは長年の謎であり、もし父が今も生きていたら聞いてみたかったことのひとつであります。

 「失業手当」はブルースを詩的表現まで昇華させたラングストン・ヒューズの詩を、日本でブルースやフォークを沢山紹介した功績もある木島始さんが訳したものを歌っています。父は木島始さんにも相当な影響を受けていたと思われます。タイトルも詩の内容もいかにもブルース的ですが、楽曲の形式も父の普段の楽曲のような不定形のスタイルとは違い、分かりやすい8小節のブルース形式です。ですからセッションでも演奏しやすく、楽器を弾きはじめたばかりの頃の僕は、父とステージでこの曲を共演することが多かったです。この曲を聴くと、父のステージによく飛び入りしていた吉祥寺「mandala・2」の風景を思い出します。

 「年輪・歯車」は後述する父の先輩格の有馬敲さんと、これまた後述する沖縄出身の昭和を代表する詩人の山之口貘さんのそれぞれの詩をメドレーのような形式で歌っています。面白いことに前半の「年輪」は女性の視点で、後半の「歯車」は男性のようにも読めるところでしょうか。どちらにしても父が好きそうな詩世界であります。

 続く「鮪に鰯」「結婚」は共に山之口貘さんの詩。デビュー当時こそ時事問題やプロテストな姿勢の楽曲もあった父ですが、前アルバム『汽車が田舎を通るそのとき』あたりからは直接的な表現はほとんど排し、市井の市民の視点を重視するようになりました。その中で時おり歌うこの「鮪に鰯」などはステージでもピリリと利いていました。1954年3月1日にビキニ湾環礁付近での米軍の水爆実験によって被爆した日本の第五福竜丸のことを、貘さんらしく描いた傑作詩であります。「結婚」は最初は貘さんの個人的な内容のように始まりつつも、貘さんらしいオチのつく詩であります。貘さんの詩は「鮪に鰯」にしても、後に歌う「頭をかかえる宇宙人」にしても、妻子を質屋に入れようとする夢の話の「深夜」にせよ、独特な語り口とオチがあり、ほとんど落語のような詩世界ですね。

 「アイスクリーム」もファンには人気の高い楽曲で、僕もステージでこの曲を始めると往年のファンの方々に「イェーイ!」と声をかけられます。もっともその声が上がった頃には終わってしまいますが(笑)。アルバムのバージョンはさすがに父も一節ではと思ったのか、若干長めに弾いています。とはいうものの1分秒というフィル・スペクターも顔負けの短さです。むしろこんなに短いとラジオでもかけ辛いでしょうね。この曲でのまだ若く血気盛んだった頃(?)の父の卓越したフィンガーピッキングの妙は、敬愛したブルースマンのミシシッピ・ジョン・ハートのようでもあります。

 「自転車にのって」など、今回発売されたベスト盤やカバー盤に含まれているものは、そちらのライナーにも詳しく書いたので合わせてご参照頂きたいのですが、この曲の冒頭に聴こえるSP盤の曲は「ハイカラソング」。演奏は勿論はっぴいえんどなのですが、この曲はなぜか大滝詠一さんがベースを弾いているのだそうです。このことの顛末を三浦さんにお聞きしたところ、「僕も何でだかは分からないのだけど大滝さんがベース弾くって言い出したんだよね」とのこと。ちなみに再発CDなどでは翌年の1972年10月10日に発売された『フォークギター~ベルウッド・フォークの楽しみ』の中の「自転車にのって(ファンキーバージョン)」も収録されています。こちらの演奏はキャラメル・ママ名義ですが、今で言うとティン・パン・アレイで、ドラムスに林立夫さん、ベースに細野晴臣さん、ギターが鈴木茂さんでコーラスに矢野顕子さんっていう、ほとんど矢野さんの『さとがえるコンサート』状態であります(笑)。

 「ブルース」も短く同時に深い詩です。19世紀の米国の女流詩人エミリー・ディキンソンによるものです。彼女の詩は生前には評価されることは無かったそうですが、後に現代詩に多大な影響を及ぼしたそうです。ここでも父はジョン・ハート・スタイルのような演奏で、一時期本人もかなり気に入った作品だったのでしょう。実は今年に入って、父とまだ保育園に通う時分の僕が出演したTVの分ほどのドキュメンタリー番組の録画が発見されたのですが、その中で父は保育園に僕を迎えに来て井の頭公園に連れて行き、カップ酒を飲みながらこの曲を僕に歌っていました。恐らく相当酒臭かったのは当時の僕の態度から察するに余りあります。そしてこんな人生の切なさを綴った詩を歌われても、子供には全く理解出来なかったでしょうね。

 「おなじみの短い手紙」は「失業手当」と同じくラングストン・ヒューズの詩を木島始さんが訳したものを元にしています。この曲はアルバムなどでは単にフランス曲と書かれていますが、実際はボリス・ヴィアンの「脱走兵(Le deserteur)」です。実はこの詩の中の手紙の内容がどのようなものなのかは原詩を読んでも判明しませんが、この曲のメロディに乗せることで父のメッセージは伝わります。そういえば話は変わりますが、父はヨーロッパが大好きでそこら中を旅したそうです。そしてサンジェルマン・デプレにいた時は現地人化していたと当時偶然会った父の旧友、かまやつひろしさんから聞いたことがあります。

 さてここまでがアナログ盤ではA面です。短い曲が多いとはいえ9曲。これには理由がございまして、1曲単位でギャラが発生すると契約書を読んだ父は、出来るだけ多く詰め込んだのです(笑)。もっともその契約書にはアルバム1枚につき上限は10曲までと記載されていたそうで、後年「沢山録音して損した」と言っていました。

 では続いてB面に。

 「コーヒーブルース」は父のこの時期の作品の中でも人気の高い曲で、少し後に歌われる「日曜日」と対をなしているような作品でもあります。父は京都時代に書きためた詩を『個人的理由』という詩集にしました。京都時代のぼそぼそと喋るシャイでまだお酒を飲まない高田渡を垣間みれる、本人にとって唯一の詩集です。その中にこの二つの詩は収められています。大の珈琲通として知られる細野晴臣さんに「当時、渡に京都の珈琲屋をいくつも案内してもらった」とお教えいただいたことがありますが、本当にURC時代の父は旧友・中川五郎さんたちと珈琲屋を何軒もはしごしていたそうです。この曲には幻のプロモーション・フィルムが存在しており、また当時キングレコードの関係者が、詩の舞台の老舗珈琲店「イノダコーヒ」でイベントをお願いしたが、軽くあしらわれたとの逸話もございます。

 前述の「年輪」と同様に、「値上げ」は1931年生まれの有馬敲さんの詩。父はURC時代にも「転身(180°回転)」を歌っています。有馬さんや中山容さん、片桐ユズルさんなどの先輩世代の詩人の方々が京都で蒔いた種が、関西フォークの発展の土壌になったことは知られています。また、そのお三方などが中心になって開店した京都の老舗珈琲店「ほんやら洞」は、残念ながら今年(2015年)1月に火事で全焼してしまいました。有馬さんから父に送られたこの「値上げ」の直筆の草稿を見ると、父はそれをほとんど一言一句書き換えないで歌っており、有馬さんが歌われる前提でこの詩を書いていたことを伺い知ることができます。それにしてもいつの時代でもこの詩がまかり通ってしまうとは…。

 何ともやるせない気分と夕焼けの美しさのコントラストの素晴らしい「夕焼け」は昨年(2014年)惜しまれつつも亡くなった吉野弘さんの傑作詩。この詩は学校の授業などでも取り上げられることがあるといいます。亡くなってから評価が高まるというのはいつの世でもある話です、が吉野さんもまた去年以降、さらに評価が高まっているとニュースで聞き嬉しく思っています。市井の視点という意味では父の趣味のど真ん中であったのかも知れません。父が三浦さんや細野晴臣さんたちとロスで録音した『Fishing On Sunday』(ヴァン・ダイク・パークス、フレッド・タケット、ロバート・グリニッジ参加!)の中でも、「初めての我が児に」を取り上げています。

 父が敬愛したウディ・ガスリーの「ドレミ」をヒントにしたのに間違いない「銭がなけりゃ」は、この録音の2年前1969年に『汽車が田舎を通るそのとき』で「ゼニがなけりゃ」として初演されています。この際は「東京はいい所さ…住むなら山の手に決まってるさ」と歌われるほか、2番の「日当をどう使おうと」からのくだりが、前述したトーキング・スタイルで語られます。それが朋友・岩井宏さんのバンジョーと共に演奏される翌年の1970年のフォークジャンボリーのライブ盤の際には、「大阪はいい所さ…住むなら芦屋に」となり、2番も最初は岩井さんが歌います。そこから引き継ぐ後半の「そうだよ今いる所が一番いいのさ」はまだ若干トーキング・スタイルです。そしてこの翌年の『ごあいさつ』版では冒頭、岩井さんのバンジョーと父の歌で始まり、徐々に楽器が加わりブルーグラスないしはオールドタイムなスタイルで演奏が続きますが、サビ前の印象的な松本隆さんのフィルインから一気にロック・バンド演奏になるというスリリングな展開で、何度聴いてもゾクゾクします。歌詞も「住むなら青山に」と変わり、以降ライブでもこの歌詞が定番化しました。そしてこのバージョン以降は2番も普通に歌われるようになりました。

 このロック的カタルシスから一転して、渋く魅力的なのが「日曜日」です。これは前述したように、まずは『個人的理由』で詩として発表され、『汽車が田舎を通るそのとき』ですでに初演されています。ということは「銭がなけりゃ」とこの2曲はまえのアルバムと同じ!(笑)。ところがどちらも全く印象が違うのは楽器編成の違いによる所も大きい。前作は全くの弾き語りとナレーションのような対談というシンプルな作りだったのに対して、アルバム『ごあいさつ』は三浦さんが言うところの、URCや米国のフォークウェイズのような音楽をバーバンク的解釈でという、ベルウッドで目指した音作りの最初の実験だったのかも知れません。これは三浦さんの目指したニューミュジックと言う言葉でも表されています。ここでのバンドネオンは巨匠・池田光夫さん。「おなじみの短い手紙」でも名演を残して頂いており、アルバムの中にほんのりとヨーロピアンな風を吹かせて下さっています。ちなみに『汽車が田舎を通る~』版では、中盤にルバートのような「僕は電話がキライ…」と歌われるパートがありましたが、そこは削除されています。結構良いのになぁ~。ちなみに、父は酔って人に電話をかけてくるような迷惑な趣味もございました(笑)。

 続く「しらみの旅」が、これまた五つの赤い風船とのスプリット盤の再演です(笑)。アルバム中3曲が再演って、ファースト・アルバムって銘打っているのに!(爆笑)。この曲はもともと添田唖蝉坊のものですが、父の大好きだったカーター・ファミリーの定番曲「Wabash Cannonball」のメロディで歌っています。冒頭でも書いたように、父は明治大正の演歌師の言葉を北米民謡のメロディに乗せてという発明から徐々に頭角を現したのですが、それはデビューのスプリット盤でも、収録曲6曲中半分の3曲が唖蝉坊作品だということから伺い知ることができます。このバージョンでははっぴいえんどの演奏に引っぱられてか、ロッキンな歌い方をしており、弾き語りのスプリット盤と歌い方を聴き比べてみることをお勧めします。ところで、毎度お話しているのですが、僕が父に唯一ギター奏法を習ったのはこれまたカーター・ファミリーのレパートリーの「Wildwood Flower」という曲でして、後年父はこの曲のメロディに唖蝉坊の「イキテル・ソング」の詩を乗せて録音しました。

 アルバムの最後は、父・高田渡が最も愛した詩人・山之口貘さんの「生活の柄」であります。おそらくもっとも多くステージでも歌われたであろう、高田渡の生涯の1曲と言っても過言ではないかも知れません。カバーも多く、今も皆様に愛されている楽曲かと思います。父が晩年作った貘さんの作品だけを集めた『貘』でも、ご参加頂いた八重山民謡の第一人者・大工哲弘さんはこの曲をユンタだと評しました。ユンタとは沖縄などの労働歌で、コール&レスポンスのあるその場でみんなが歌える曲のことらしいです。確かに僕も全国でこの曲を歌うと、レスポンスを頂くことが多くて驚きました。それはひょっとしたら貘さんの詩に潜む郷土愛や気質が産んだのかも知れませんね。

 以上、急ぎ足で『ごあいさつ』の楽曲群について書いてきました。このアルバムは再三触れているように、はっぴいえんどが参加していたり、湯村輝彦さんによるポップで印象的なジャケットのインパクトもあり、高田渡作品の中でも抜群の知名度を誇る作品です。高田渡マニアになればなるほど続く『系図』や『』の渋さにハマって人生を棒に振る方も多いようですが、このアルバムは非常に間口が広く、当時の父の意気込みが伝わってきます。何の因果か、今回の僕のカバー・アルバム『コーヒーブルース』も父と同じベルウッド(キングレコード)から発売され、矢野顕子さんの「春先小紅」以来現場を離れたはずの三浦光紀さんが私設応援団のようにしてサンプル盤を持ち歩き、いろんな方にプロモーションして下さっています。親子二代に渡ってこのような稼業でご飯を食べられることだけでも幸せなのに、昔と同じく多くのスタッフの皆様に支えられていることに、この場を借りて感謝したいと思います。

 そして父の日記を発見した後、「それはきっと単に個人の日記ではなく日本の音楽シーンの大事な資料だから、きちんとしたかたちで発売すべきです」とご助言下さった萩原健太さんにもこの場を借りてお礼したいと思います。

 どうもどうも いやどうも

< 雑誌「ERIS」第13号 抜粋 >

 

高田漣(たかだ・れん)

1973年、日本を代表するフォークシンガー・高田渡の長男として生まれる。少年時代はサッカーに熱中し、14歳からギターを始める。17歳で、父親の旧友でもあるシンガーソングライター、西岡恭蔵のアルバムでセッション・デビューを果たす。スティール・ギターをはじめとするマルチ弦楽器奏者として、YMO、細野晴臣、高橋幸宏、斉藤和義、くるり、森山直太朗、星野源、等のレコーディングやライヴで活躍中。ソロ・アーティストとしても6枚のアルバムをリリース。2007年、ヱビス<ザ・ホップ>、プリングルズのTVCMに出演。同年夏、高橋幸宏の新バンド構想の呼びかけにより、原田知世、高野寛、高田漣、堀江博久、権藤知彦の計6人で「pupa」結成。2013年、映画「横道世之介」、「箱入り息子の恋」のサウンドトラック、シティボーイズの舞台公演の音楽を担当。同年6月、豪華ゲスト陣が参加したソロ・アルバム「アンサンブル」をリリース。2014年、宮沢りえ主演のテレビ・ドラマ「グーグーだって猫である」の音楽を担当。2015年4月には高田渡の没後10年を機にトリビュート・アルバム「コーヒーブルース〜高田渡を歌う〜」をリリース。

http://tone.jp/artists/takadaren/

ERIS(エリス)

個性豊かな著名執筆陣が魅力の、今までにないフリー(無料)の電子書籍版音楽雑誌。

「ピーター・バラカンの読むラジオ」連載中。

最新号(第16号)の巻頭は萩原健太編集長による桑田佳祐の最新インタヴュー、デビュー50周年の荒木一郎。連載も凄い、ピーター・バラカンは初来日が大絶賛だったパンチ・ブラザーズ、岡本郁生は来日間近ジョー・バターン、鷲巣功は必聴「昭和カタコト歌謡曲」、亀渕昭信はジョニ-・オーティスからボー・ディドリー、安冨歩はインヴィンジブル全容、北中正和は続日本紀の音楽記述、水口正裕はブラック・ミュージカル、磯部涼はスチャダラパー登場、萩原編集長はボブ・ディラン続編「フォールン・エンジェル」。ライナーノーツは三田格の鬼才ヤン・イエリネク傑作「ループ・ファインディング・ジャズ・レコーズ」。

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