サニー・ランドレス インタヴューアーカイヴ(2012年『Barakan Beat』)

サニー・ランドレスが前回(2012年)の来日時にInterFM『Barakan Beat』にゲスト出演した際のインタヴューを、LIVE MAGIC! での再来日を記念して特別に公開します。

少年時代に聴いて影響を受けた音楽やスライドに目覚めたきっかけなど、「ギタリスツ・ギタリスト」サニー・ランドレスの音楽半生とは?

大容量で充実した内容になっています。じっくりとお楽しみください。

エリック・クラプトンのようなイギリスの素晴らしいバンドやミュージシャンたちの音楽は、ぼくの住んでいた地域のルーツ・ミュージックを再発見するきっかけとなった。

ピーター・バラカン(以下PB):9年振りに東京で会えて嬉しいです。3回目の来日になりますよね?

サニー・ランドレス(以下SL):ええ。

PB:それについてはまた後で触れるとして、あなたは1951年生まれですね。

SL:そうです。

PB:ぼくも同じです。ぼくはロンドンで育ち、あなたは南ルイジアナで育ったということで大きな違いがあると思いますが、ぼくは必ず同世代のミュージシャンについて、きっと子どもの頃に似たような経験をしているのだろうと考えているのです。例えば、ぼくはビートルズやローリング・ストーンズなどを聴いて育ちました。60年代頃流行っていたバンドであなたに影響を与えたバンドはありますか?

SL:ぼくも言おうとしたけど、ぼくたちは全く違う場所で少年時代を過ごしたにもかかわらず、似た音楽を聴いて育ったんだろうって。同世代の人からあの時代は音楽的にいかに豊かな時代であったかってことに気付かされるね。ミシシッピに住んでいた子どもの頃、エルヴィス・プレスリーが初めてエド・サリヴァン・ショーに出たんだ。スコティ・ムアが後ろでギターを弾いていて、その音がぼくにとってギターを始めるきっかけになったんだ。

ビートルズを聴いてバンドで演奏したくなったし、エリック・クラプトンのようなイギリスの素晴らしいバンドやミュージシャンたちの音楽は、ぼくの住んでいた地域のルーツ・ミュージックを再発見するきっかけとなった。

PB:それは面白い。ルイジアナやミシシッピはルーツ・ミュージックに深い伝統がある地域ですもんね。そういった音楽にあなたを振り向かせてくれたのはエリック・クラプトンのような人たちだったわけですね。

SL:そう。彼らのインタヴューなんかを読むと必ず、例えば、B.B. キングのことを話しているんだ。’65年か’66年の時にちょうどぼくの家から20分先のところでB.B. キングがライブをしていることに気づいて。

PB:‘65年にクラプトンのことを知っていたのですか?

SL: ‘66年だったかもしれないな。それには理由があって、ぼくはその時に年上の友達とバンドをやっていて、彼らがその時期に流行っていた音楽をいつも教えてくれたんだ。だから、’67年か、その少し後だったかもしれない。

PB:ぼくの学校にも上級生でアマチュアのブルーズ・バンドをやっていた友達がいて、彼らがポール・バタフィールドのデビュー・アルバムを同じく’66年にぼくに紹介してくれたのを覚えています。

SL:ぼくも!また共通点が見つかったね!

年上の友達に「お前これを聴いてないのか?聴けよ!」と、言われるまではポール・バタフィールドやマイク・ブルームフィールドが誰だか全く知らなかった。でもB.B. キングについて知って、ルイジアナ州のニュー・アイベリアにあった小さなクラブに彼を聴きに行ったんだ。ぼくは16歳で、年上の友達が連れて行ってくれた。休憩中にB.B. キングに話しかけて、同じ年に〈キング・オヴ・ザイディコ〉のクリフトン・シェニアにも会いましたね。ブルーズをアコーディオンで弾くなんて信じられなくて聴きに行ったんだ。その頃からクレオール社会に入っていったかな。その後、ルイジアナ州のバトン・ルージュでジミ・ヘンドリックスを聴いた。

PB:生で?

SL:そう、生で!3人全員を観たよ!

PB:うわぁ、すごい。

SL:ジミを探しているファンをスタッフがホテルから追い払っている間、ぼくは友達とギフト・ショップに隠れていて...すると彼が歯ブラシか歯磨き粉を買いにギフト・ショップに入って来て...(笑) 。

PB:すごいなぁ!もうその時点でミュージシャンになるという決心はついていたのですか?

SL:そうだね。小さい頃からずっとギターを弾きたいって思ってた。ぼくが初めて手に取った楽器はトランペットで、10歳の頃から学校で演奏していた。12歳の頃にギターを弾いていた友達が学校の講堂でバンド演奏するのを見て「ぼくがやりたいのはこれだ」と思って、13歳の時にやっとギターを始めたんだ。

PB:なるほど。トランペットではどのような音楽を演奏していのですか?

SL:学校のバンドとオーケストラに入っていたから、クラシック音楽とビッグ・バンド用に編曲されたものや基本のものかな。良かったのは、素晴らしい先生に巡り会え、沢山の偉大な楽曲を経験させてくれたことでギターを弾き始めた時にとても助けになったよ。息づかいが重要で、ヴォーカル要素が強い管楽器をやっていて、尊敬するジャズやブルーズ奏者の人たちと同じように楽器で人間の声をまねることを目標にしてギターを学んでいった。

PB:金管楽器奏者はほとんどそうなんですね。トランペットを演奏していた時に楽譜の読み方を教わったのですか?

SL:うん、でもギターの楽譜はトランペットの楽譜ほど上手く読めなかったな。トランペットではギターのように即興演奏が全然出来なくて...。ギターの方が簡単に演奏できたけど、トランペットを学校で学んだ経験はとても大きかったと思うね。

最初はスライド・ギターが一体何なのかも分からなかったけど、あの音には完全に心を奪われたよ。

PB:先ほど尊敬するジャズ・ミュージシャンがいたと言っていましたが、特に誰を聴いていたのですか?

SL:マイルズ・デイヴィス、ナット・キング・コール、ジョン・コルトレイン、そしてギターを始めてからはもちろんチャーリー・クリスチャン、ウェス・モンゴメリーは大ファンだった。

PB:ぼくも学生の頃その辺りの音楽を聴いていました。グルーヴが中心で聴きやすいアルバムもありましたが、ジョン・コルトレインやマイルズ・デイヴィスとハービー・ハンコックがやっていたバンドの音楽は知的な感じがありましたよね。学生の自分にとっては聴くのが時々難しかったのを覚えています。

SL:他の人もそう感じたと思うな。なぜならマイルズはつねに方向転換をしていた革新者だったから。考えてみれば『Bitches Brew』辺りのアルバムはジャズから方向性を変えたものばかりだった。モード奏法を採ったり、一見単純に聴こえる一方でテクスチャーとムードの点からより複雑な構成になっている。ぼくもギターを弾いているうちにマイルズのやっていたことが出来るようになってきて。ミシシッピ・ジョン・ハートやレッド・ベリー、特にロバート・ジョンスンを聴くようになってからね。音楽を通して物語を伝える伝統的な奏法も彼らを聴き始めてから自然に身についていったと思う。なにか特別な雰囲気があったからかとても耳に残ってね、特にスライド・ギターの音。最初はスライド・ギターがいったい何なのかも分からなかったけど、あの音には完全に心を奪われたよ。

PB:初めて聴いたスライド・ギターを覚えていますか?

SL:はっきりとは覚えてないけど、ポール・バタフィールドのアルバムの曲で...

PB:「Shake Your Money-Maker」ですかね?

SL:そう!エルヴィン・ビショップがギターで、マイク・ブルームフィールドがスライド・ギターで入ってるやつ。クレジットを読んでいて"スライド・ギター"という言葉を見た瞬間「スライド・ギター?何だそれ?」と思ったのを覚えているな。10代の頃で、それが初めて聴いたスライド・ギターだったと思う。それをきっかけにデルタ・ブルーズを聴くようになって、最終的にエルモア・ジェイムズやマディ・ウォーターズを聴くようになった。彼のスライドのイントロはトレイド・マークだね。

PB:スローな曲なんか特にそうでしたね。

SL: (イントロを口ずさむ) 数知れない曲があのイントロで始まるけど、彼と同じようにできた人はいなかったし、あれは彼だけのものだね。彼はデルタ・ブルーズのあのヴォーカルで詩的なサウンドを自分の音楽に取り入れて... 大好きだなぁ。

PB:ということはスライド・ギターを始めるきっかけとなったのはマディとエルモアですか?

SL:うーん、実は彼らより前にデルタ・ブルーズを聴いていたと思う。最初はビートルズのようなあの頃人気があったグループをよく聴いていて、なかでもヴェンチャーズが大好きで彼らの曲をずっと練習していた。そこでインストのものに興味が湧いたんだ。ちょうどその頃、毎年夏の間だけ近所の楽器屋でバイトをしていて、年上のバイト仲間がある日、チェット・アトキンズの「Yankee Doodle Dixie」と「Windy and Warm」を弾いて聴かせてくれてね。わりとクラシカルな演奏で、メロディー、ハーモニー、リズム、ベース全てを一緒に弾きこなしていて、思ってもみなかったやり方に驚いた。それからチェット・アトキンズばかり聴くようになり、右手でのフィンガー・ピッキング・テクニックをずっと練習するようになった。初めてデルタ・ブルーズを聴いた時もチェットのように聴こえて、「これにスライドを加えたら面白いんじゃないか?」と思っていまのスタイルになった。

PB:ああ、なるほど。あなたのユニークなスライドとフィンガーピッキング両方を取り入れた弾き方はそうやってチェット・アトキンズから誕生したわけですね。

SL:そう。しかも、何十年後にはやっとマーク・ノプフラーに会うことができて、マークがナシュヴィルにいて彼のセッションをやっていた時、「チェットと朝食に行くよ」って言われてね。「本当かい?」って訊くと、彼は「うん、いつも近くのレストランで一緒に朝食を取ってるんだ」って。それでチェットが自分のメルセデスで迎えに来たんだ...駐車場で彼に初めて会った時のことは忘れられないな。ぼくは16歳の頃から彼を聴いてきてその時はもう50代だったね。「アトキンズさん、」と話しかけると彼は、「いやいや、チェットと呼んで。」と返してくれて...それでぼくは「チェット、上手く伝えられるか分からないけど、あなたの音楽にはとても影響されました。」と言った。すると彼は手を差し伸べながら「君のCD聴いたよ」と言ってきて、「本当ですか?!」と答えると握手したまま「なかなかいいね!」と言われてものすごく嬉しかったなぁ。その後一緒に朝食をとって、ギターやブルーズ、蛇の話までしてとても楽しかった。それ以来、マークとナシュヴィルに行く時には必ずチェットと一緒に朝食を取るようになったんだ。

PB:そもそもどうやってマークと知り合ったのですか?彼は『South of I-10』にゲストで弾いていましたよね?

SL:そう。1992年の話になりますが、彼もちょうど同じ時期にイギリスをツアーしていたんです。彼がその当時のぼくのアルバム『Outward Bound』のファンだったらしく、ライヴを一度観に来てくれたんだ。初めてマークと会ったのはそのときで、すぐに仲良くなった。その後も連絡を取り合って、彼のプロジェクトで演奏したり、彼がぼくのプロジェクトで演奏したりして...とてもいい友達だよ。イギリスやナシュヴィル出身のミュージシャン達はほとんど彼から教えてもらったしね。基本的に彼はナシュヴィルでトップのセッション・バンドと一緒に活動をしているから。バンドのメンバー達とも仲良くなれたよ。

PB:バンドのメンバーは誰ですか?

SL:ポール・フランクリンがスティールで...そう、もうひとつ重要なのが、あの時の彼は長年活動をしてきたダイア・ストレイツから新しい方向へ向かおうとしていた。だから最初のソロ・アルバムは彼にとってとても重要だった。

PB:そうですね、あなたもあのアルバムに参加しましたしね。

SL:「Golden Heart」に参加したね。もう1曲、その時はカットされてしまったんだけど、後から使うことになった「(Riding on The) Gravy Train」を一緒にやりました。グレン・ウォーフがベースで... 素晴らしいキャストで楽しく演奏できていい機会に恵まれました。

1曲ヒットしてそのまま消えていった友達なんかもいるけど、安定性を持って地道にやっている方がいいと思う。

PB:エリック・クラプトンが企画したクロスロード・ギターフェスティバル、3度のうち2度出演されていますよね?

SL:いや、3回全て出ていますよ。1回目にも出ています。DVDと違って一番最初に演奏をしたわけじゃないんだけどね。

PB:なるほど。DVDを見て知ったのですが、2回目と3回目のフェスのオープナーはあなたでしたよね。エリックが舞台のそでから演奏を見ていて途中から参加したのを覚えています。あなたのことを彼が「最も過小評価されたギタリスト」と言っていたのは有名な話ですが、ぼくは昔から過小評価というよりも、知られていない、というほうが近いかと思っていました。

SL:エリックもきっと同じことを言おうとしていたと思う。彼の考えでは、知られていない面と、知っていても正当な評価をされていない人、みたいな両面を含んでいたと思う。とても寛大に扱ってくれて感謝しているよ。テクサスで開催された1回目のフェスの時から仲良くさせてもらっていて、彼の家族までぼくたちが演奏するのを観に来てくれてとても嬉しかったね。1回目は2日にわたって多数のバンドが演奏して規模がそれ以降と比べ遥かに大きかったんだ。大きかったせいでDVDに入りきれなかったアーティストもいて、そういった問題もあって最近は規模を小さくしてやっているんだ。2回目からはぼくたちが1番目に演奏するようにしてくれてそれはすごくうまくいっているよ。いろんな人に「もっと最後の方に演奏するべきじゃないの?」ってよく訊かれるんだけど、ぼくの意見は逆で、だって最初に演奏すればその後はゆっくりと他のアーティストを聴けるからね。ギター天国だからぼくにとっては最高なんだ。もうひとつの理由は、最初に演奏するとDVDでも最初に出てくるのは自分たちになるからそのほうがより多くの人にぼくのことを知ってもらえるよね(笑)。

PB:フェスなどのDVDに出演することによって知名度は上がりましたか?

SL:もちろん。すぐ違いに気が付いた。どういうことかっていうと、当時ぼくと同程度の実力を持ったアメリカのバンドは表舞台で演奏できていなかったんだ。クロスロード・ギターフェスティバルのお陰ですごい反響があったよ。

PB:ぼくに言わせるとあなたは敢えて表舞台で活動をしていないような印象があります。比較的に小さなレコード会社からアルバムを出していますし、まだ南ルイジアナを拠点に活動していますよね?L.A. やニューヨークのような大きいレコード会社があるところで活動をしようとは思わなかったですか?

SL:それについては随分前に考えたことがあって。長年一緒に演奏をしてきたセッション・プレイヤーの友達もいるけど、自分には向いていないと思った。幸いなことに、昔から自分が出来ることを自由にやってくれ、と言われることがほとんどだったから...自分自身のプロジェクトでやりたいことができる創造の場が持てたことに感謝しているよ。1曲ヒットしてそのまま消えていった友達なんかもいるけど、安定性を持って地道にやっている方がいいと思う。徐々に上向きになればいい。長く続けること、それが大事だと思うね。

PB:そうですね。アルバムを出し始めたのは、30代に入ってからですよね?

SL: 実は自分の名前で初めて作ったアルバムは1973年に出していて、その時はあまり売れなくてね...しばらく経ってからある程度売れたけど。ちょうど1992年に『Outward Bound』が発表された後だったかな。別のレーベルが更に古いものを見つけてきて、それはまた別に出したよ。

PB:つい最近(※2012年)再発売された『Down in Louisiana』などですか?

SL:そう、何度目だろう(笑)。 1984年にレコーディングをして1985年に自分の車のトランクから手売りをしていたもので、それをEpicのA&R部門の人が聴いてくれて、彼と知り合いになって。それでアルバムを出そうとしていたときに、彼はナシュヴィルにあるSonyに移ってしまって結局そこから出た。実は元々タイトルは『Way Down in Louisiana』でしたけど『Down in Louisiana』に省略されたんだ。その間にぼくはジョン・メイオールとL.A. でセッションをしてきて、そこで共同プロデューサーのボビー・フィールドと出会った。ボビーと会った後にはジョン・ハイアットと活動をする為にオーディションを受けたりして... 本当にチャンスが巡ってきた時期だったなぁ。

PB:そうやってジョン・ハイアットと活動をするようになったのですね。ぼくがあなたを初めて聴いたのはジョン・ハイアットを通してだったので、彼と会った経緯について教えてください。

SL:大勢の人が同じようにぼくのことを知ったと思う。思いもしなかったチャンスがある日突然やってくるとやっぱり面白いね。「Asleep at the Wheel」のレイ・ベンスンの為にテクサスのオースティンでセッションをやっていた時で、彼はダーデン・スミスという素晴らしいシンガー・ソングライターのアルバムもプロデュースしていて、ぼくがスタジオの中でギターをチューニングしていたら大男のレイが「ジョンが最近アルバムを出してツアーのギター・プレイヤーを探しているけど、オーディションを受けたらどう?」って言われて... 何も考えずに「ああ、いいよ。」って返したら昔の有線電話を別のスタジオのほうから引っ張ってきてその電話口の先にはジョンがいたんだ!ぼくもジョンも不意を突かれたよ。先にジョンが「どうも!」と言ってきて、ぼくも「こちらこそどうも!」という気まずいやりとりをして...それで彼が「じゃあナシュヴィルで会おうか。」って、ぼくは「もちろん、よろしく。」と返事をした。

PB:彼はその時あなたのことは知っていたのですか?

SL:知らなかったと思う。でも、ちょうどその頃出ていた『Down in Louisiana』をボビー・フィールドがジョン・メイオールに送っていたらしいから一応そういうこともあってオーディションを受けられたんじゃないかな。ベースとドラムズをまだ探していたみたいで、家に帰ってジョンに電話をして一緒に活動をしていた友達2人を紹介したんだ。すると彼は「本当かい?」と言って、自分を含め3人をナシュヴィルまで飛ばしてよこした。ケネス・ブレヴィンズがドラムズで、今も一緒に活動しているデイヴィッド・ランスンがベースでした。スタジオに入るとジョンが「じゃあMemphis in the Meantimeをやろうか。」って言って、曲が終わると一言「オーディションをキャンセルしろ。このバンドで決まりだ。」ってね。それで彼がスタジオを出て行くとケネスが「あの曲で本当に良かった。」と言うんだ。なぜかって訊いてみると「あの曲しか聴いてなかったんだよ。アルバムの1曲目だったから。」って(笑)。

PB:そのアルバムはライ・クーダー、ニック・ロウ、ジム・ケルトナーが演奏している『Bring the Family』ですよね?

SL:そう、それでジョンとツアーをすることになったんだ。あなたみたいに「一体誰が演奏をするんだ?」って思っている人が大勢いたのに、あまり考えずにそのままツアーを続けていた。ぼくはライ・クーダーの大ファンだったし、ケネスはジム・ケルトナーとニック・ロウをよく聴いていて... 彼らはとても尊敬された存在だったから。ただ、ジョンのことを詳しく知らなかったせいか、音楽を演奏することだけに夢中になっていたね。彼の曲は数曲しか聴いたことがなかったけど一緒に演奏を重ねるにつれて「この人は本物だ」と思うようになった。彼もまた同様に思ってくれてステージの上での相性は抜群だったね。あの年の全ての公演、ぼくたちが日本に初めて来るちょうど前まで、多くの批評家が公演に来てくれて... あのアルバムはとても好評だったから。だからジョンと一緒にツアーをするのはとてもいい機会になったよ。6、7週間アメリカを車でツアーをして、またノルウェーから始まってイギリスを7、8週間回ったかな 。バーの演奏ばかりの日々から世界中を飛び回る生活になったから、すごかった。

PB:でしょうね。ジョンがあなたと来日した時のことはいまだに覚えています。先ほど言っていたように、みんなが「一体彼はどんなミュージシャンを連れてくるんだ?アルバムに参加した3人を連れてくるはずがないしなぁ... 。」と思ってましたから。でもライヴが始まって2曲目が終わる頃には周りががく然としていました。ライヴが終わると「あのギタリストは一体誰なんだ?!」ってみんなが騒いで、ツアー・プログラムか何かで初めて "Sonny Landreth" という名前を知ってみんな「この人すごいね!」って。ネットも何もなかった時代だったのであなたのことを全く知ることができなくて『Outward Bound』が出るまで4年も待たされました。

SL:誰でも簡単に情報が入る今はすごいね。以前と比べると本当に興味深いと思う。あの頃は本当にどこからともなく現れたバンドだと思われていたからね。実際には長年共に活動をしたバンドだった。それはとても重要なことで、ジョンもそれが分かっていたんだ。

PB:先ほどデイヴ・ランスンとまだ活動をしていると言っていましたよね?

SL:はい。

PB:新しいアルバムでは3人のドラマーが曲によって参加していますが、ツアーのドラムズ担当は常に決めているのですか?

SL:アルバムにも参加しているブライアン・ブリグナックがメインなんだ。皆長年の付き合いがあるドラマー達だから本当は誰でもアルバムの全ての曲を演奏できるんだけど... ぼくは3人全員と演奏するのが本当に楽しいから誰にどの曲が合っているかを考えてから決めていた。でもブライアンには一緒にツアーに来てもらっている。今回はいろんな場所を回れてすごく楽しいよ。

PB:新しいアルバム(※2012年に発売された『Elemental Journey』)は全曲インストルメンタルのものですよね。以前のアルバムにインストの曲はいくつか入っていましたが、完全にインストのアルバムを作ろうと決めた理由はなんですか?ファンの方であなたの声とソングライティングが好きな人も大勢いると思うのですが。

SL:そう思ってくれているのは嬉しいな(笑)。 昔からインストのアルバムを作りたかったんだ。ヴェンチャーズを聴いてた頃から。あなたが言ったとおり今まではインストの曲を数曲含めた感じのアルバムを作ってきたけど「アルバムを全部インストにしたらどうだろう」って実際に考えるようになって。以前所属していたレコード会社とは 契約解消後はマスターの権利がぼくに戻るようにしていた。だから『Levee Town』の拡大盤を出すことができたんだ。ちょっと恥ずかしい話だけど家の廊下に9年間ぐらいほったらかしなっていた2インチのマスター・テープが積まれていて...それでインスト曲の「Z Rider」や「Spider-Gris」があることを思い出してスタジオで聞き返してみた。他にもインスト曲が5、6曲あって、全部並べて聴いてみたらなかなか出来が良くてね。ミックスをして更によくなったからアルバムとして出すことにした。その次はルイジアナ州ラファイエットで活動をしている世界的に有名なシンフォニー・オーケストラの指揮者から「クリスマス・コンサートでバッハを弾かないか」って誘われたんだ。スライド・ギターでバッハを弾いたことなんてこれまでなかったですから一度やりたいと思っていたのでとても貴重な経験になったよ。コンサートの為に練習をしていると弦楽器にものすごく興味が湧いて、弦楽器をインスト・アルバムのコンセプトの一つとして取り入れたいなって考え出して。そうしてアルバムが徐々に完成していったね。

PB:そのクリスマス・コンサートは録音しなかったのですか?

SL:自分は聴いていないけど録音していてDVDも出たと思う。

PB:面白いですね。バッハのどの作品を弾いたのですか?

SL:カンタータ第140番。

PB:それは是非調べて聴いてみたいですね。

SL:少し違う解釈をしたから面白いと思うよ。学校のオーケストラでトランペットを演奏していた時にも繋がったね。先生たちに演奏をしていない時は他の楽器にしっかりと耳を澄ませるように教えこまれて、そういう考えでオーケストラと一緒に演奏をしていたから自分のアルバムに対しても同じアプローチをすることができた。いろんなテーマやメロディーがあったり 、その二つを上手く織り合わせたり、 楽器同士が会話をしているような曲を作ったりと、とにかくキャンヴァスのイメージを膨らませたかった。キャンヴァスを更に大きくして色の数を増やしたかったんだ。それもインストだけのアルバムが作りたかった理由の一つで、自分の声がなければ自分の声の領域を超えたメロディーを作るようにして、そして曲の中心でも私が歌う必要のないものにした。

PB:なるほど。アルバムにはジョー・サトリアーニ、エリック・ジョンスン、そして特に気になったタージ・マハールの古いレコードを思い出させるロバート・グリーニッジが出ていますが彼とはどの様に知り合いになったのですか?

SL:ジミー・バフェットを通して知り合いになったよ。ジミーとはいい友達で、今でも彼とは年に5回か10回ぐらい演奏をしているんだ。スケジュールだけ渡してきて「好きな日に来てくれ」って。そんな楽しみは逃したくないから自分のツアーの合間を縫って参加しているよ。ロバートは長年ジミーと一緒に演奏をしていて、彼を初めて聴いたのはタージ・マハールのアルバムだった。というか、スティール・ドラムを初めて聴いたのもその時だったね。友達がアルバムをかけていて、ぼくは別の部屋にいたんだけどその音が聴こえた瞬間「何だそれは?!」と声を上げた。ベースのデイヴがちょうどテクサスで彼らを観たらしくて、スティール・ドラムのことを教えてくれてびっくりしたよ。ジミーと何十年も一緒に活動をしていたにもかかわらず、ぼくが初めて聴いたスティール・ドラムの奏者が彼だったことは興味深いな。彼はスティール・ドラムの達人で、本当に素晴らしいミュージシャンだね。

PB:そうですね。お気に入りのタージ・マハールのアルバムはありますか?

SL:えーと、やっぱり初期のアルバムが好きだなぁ。例えば『The Natch’l Blues』とか、ジェシー・エド・デイヴィスと共演したやつとか... 彼は初期のスライド・ギタリストの一人で、あの頃スライドをやっていた人はかなり少なかった。ドゥウエィン・オールマンは彼にインスパイアされていたね。

PB:ドゥウエィンが病気で入院をしていた時、グレッグがタージのレコードを持ってきてそこで初めて彼を聴いたんですよね。こういう話を後々知るのもなかなか興味深いですね。今日は色々な面白い話をありがとうございました。

SL:こちらこそありがとう。

翻訳協力:Orono Noguchi

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